城郭神社仏閣を彷徨う

福岡在住・40代後半のおっさんが、各地の名所旧跡に出没した記録です

佐賀城は入場無料で風の吹き通る気持ちいい場所だった(後編)

time 2018/04/14

佐賀城は入場無料で風の吹き通る気持ちいい場所だった(後編)

さて、いよいよ本編へ

前回で佐賀城の歴史を振り返りましたので、今回はいよいよ佐賀城内部に行ってみたいと思います。信長の野望の進め方のどこが佐賀城の歴史だとか突っ込んではいけない

佐賀城は、籠城時には本丸以外は水没させて防衛するという、なんか敵が現れたら説教したりぶん殴ったりする前に水戸黄門の印籠を突き付けろ的ないきなりリーサルウェポン戦略に則って築かれたため、「沈み城」という別名があったそうです。

まあ、現地に行かれてみれば分かるのですが、周囲も含めて佐賀平野なため地形に目ぼしい起伏がありません。なのでそういう風に割り切って考える方が実際的なのかもしれませんが。

現在の佐賀城は城内に県庁や高校・TV局などがあるため、建造物が残っているのは本丸御殿・天守台とその周辺です。ただ、お濠が残っているので、在りし日の佐賀城の規模が偲ばれます。

そう思うとお濠端をぐるっと一周したくなるのが人情ってもんですが、かなり広大ですので時間と体力に恵まれていないとお勧めしません。

その中で本丸御殿は「佐賀城本丸歴史館」として公開されているため、今回は本丸御殿を中心に見て行きたいと思います。

佐賀城本丸歴史館

佐賀城本丸歴史館は、天保9年(1838年)に鍋島直正公が再建した本丸御殿を、当時の資料や写真に従って遺構を保護しながら復元した施設です。木造建築物としては日本最大級げな。

まず敷地への入口です。入口には鯱の門と西門があるのですが、今回は西門から行ってみました。

※どちらの入口からも御玄関(正面玄関)に入れます

右手にあるのが土塁石垣、左手にあるのが天守台です

 

 

 

 

 

 

 

御玄関へと続く通路。奥にあるのが本丸御殿

桜と梅が満開でした

⑴御玄関・御式台

御玄関に到着です。ここが正面入口です。カノン砲が展示されています。

ここを入ると右側に総合案内所・ショップ・トイレ・コインロッカー・休憩所があり、左側から歴史館に入ります。

ちなみに入場無料。今時珍しいな。ここに募金箱も置いてあって勿論筆者も入場料相当額を募金してきましたが、売れないバンドの投げ銭ライブかよ

ボランティアガイドの方々もいらっしゃいますので、ガイドを頼まれる方は声を掛けてみましょう。

入った所の「御式台」(応接間)に甲冑が展示されていました。

「青漆塗萌黄糸威二枚胴具足」。鍋島直茂公の嫡男勝茂公が島原の乱の際に実際に着用したものだそうです。これを見て「ん?兜に見覚えあるな」と思ったアナタは戦国立志伝オタク。さてどこで出てきたかと言うと、

見比べてみていただけるとお分かりかと思うのですが、鍋島直茂公の顔グラに使われているんですね。

「ん?勝茂公着用じゃなかった?」と思った方は直茂公から伝えられたと脳内補完しましょう。それくらいのことができないと戦国オタクは勤まりません。

しかしKoeiの顔グラもきちんと調べて作ってるんですね。そこまで作り込める能力があるのになんでAIがあんなに馬鹿なんだとか言ってはいけない

その他にも、佐賀藩が試作製造していた先進機器が展示されていました。

西洋銃と、日本古来の火縄銃を雷管式に改造した管打(かんうち)銃。管打銃(手前)は手に取れますが、ずっしり重かった

電信機。手前の送信機の矢印を動かすと奥の受信機の矢印も動きます。先週の「西郷どん」でも出てきましたね

幕末の佐賀藩では、こういう先進機器を研究する部署は「精煉方(せいれんかた)」という名前でした。精煉と言うと鉱山が思い浮かびますが、こういう名前で研究所というのは連想しづらいですね。

現代の日本でも、極秘プロジェクトを進める時は一見普通に見えてでもよく考えると「あれ?」となるような名前が付いた部署を立ち上げたりしますが、そういう動きの原型が幕末にあったのかと思ったりしました。(完全に筆者の妄想)

さて、先に進みましょう。

(2)北廊下

北廊下は約45mあります。長っ!

これが北廊下。畳敷きで歩きやすいです

外はさっき歩いて来た西側通路です

おや。左側に案内係の女性が立ってますね。色々聞いてみましょう。

「こんにちは!本日皆様をご案内致します地平アイこで~す」

アンドロイド。しかも動きとかまでリアル過ぎて若干キモい。

東芝グループの技術を結集した最新鋭アンドロイドということなんですが、なぜ東芝かと言うと、東芝の創業者田中久重氏は佐賀藩の精煉方出身なんですね。

他にも、佐賀からは江崎グリコの創業者江崎利一氏や森永製菓の創業者森永太一郎氏が出ています。なんだ、地味だと思ったら結構有名人輩出してるじゃん佐賀県。ちなみに筆者の大学時代の先輩は就職活動で江崎グリコを受けに行き、面接で足が震えるほど緊張したらしいのですが、面接官の方から「まあ君そう緊張しないでウチで出してるガムでも噛んでリラックスして」とグリコのガムを手渡され、その対応に感動して入社しました(実話)。

あと九州民はみんな大好きブラックモンブランの竹下製菓も佐賀県です(小城市)。ちなみに、佐賀駅前の佐賀ワシントンプラザホテルでは1,400円でランチバイキングをやってるんですが、なんと食後のデザートで竹下製菓のアイスが食い放題です。

筆者はミルクック派なんですが、筆者の好みには誰も興味ないと思うので更に先へ進みましょう。

(3)御三家座

この場所は分家の蓮池家・小城家・鹿島家(御三家)の部屋だったそうです。

「佐賀城の変遷と本丸-よみがえる佐賀城」という展示がされていました。

江戸時代の礎石がスケルトン展示されています

佐賀城の壁の構造です。何重にも塗られたものであることが分かります

他にも木組みの展示等があり面白いです。

(4)外御書院

外御書院は一之間・二之間・三之間・四之間・南廊下で構成されていて、広さは合計320畳!佐賀藩の公式行事が行われていた場所で、この本丸御殿が完成した時の完成披露では1,000人の家臣が参集したと言われているそうです。

壮観な畳敷きです

鍋島直正公の書も展示されています

あれなんか大広間暗くない?と思われた方は鋭い。一之間は鍋島直正公が座る間だったため、当時を再現するためわざと照明を暗めにしているそうです。作り込んでるなー。

それと、この外御書院は立ち入りOKです。これって珍しい気がするんですがどうでしょうか?普通は外の廊下から柵などで隔てられていて、外から見るだけで立入りはダメというケースが多い気がします。

時期によってはセミナー等も開かれているようです。贅沢な場所のセミナーですね。

せっかくですのでここに座ってみて、直正公の気分を味わってみては如何でしょうか?下僕気質の方は二之間三之間で家臣気分を味わうのもいいかもしれません。

筆者などは、

(一の間で)直正公「これこれ、そなたに佐賀藩の藩政を全て任せるゆえ腕を揮うがよい。危急存亡の秋ゆえ手抜かりは許さぬぞ!」

(二の間に移動して)家臣「ははー有難き幸せ!身命を賭して忠勤致しまする!」

・・・と一人小芝居をしている所をこっそり見ていた同行者と目が合ってしまい、「あのさあ、メシ奢るけん今見たの黙っとってくれん?」と懐柔工作を余儀なくされました_| ̄|○

(5)屯之間

「とんのま」ではなく「たまりのま」と読みます。

屯之間の手前にトイレ(男性用・女性用・車イス用)あります。

家臣の控え室として使われていたそうです。

映像コーナーと休憩スペースがありますので一休みできます。

(6)御小書院

御三家との面談や側近との打ち合わせに使われていたそうです。

反射炉で実験している様子を描いた絵や当時のテキスト等が展示されています。

佐賀藩が全国に先駆けて建造した蒸気船「凌風丸」。ピンボケで申し訳ありません。

(7)御座間・堪忍所

藩主直正公の私室です。ここは天保期に建設された建物を(修復して)使っているそうです。

建設当時の柱に接木をして使っています

当時の障子を再現しています。当時は大きな和紙を漉く技術がなかったため、このように継ぎ目のある和紙が使われていて「石垣張り」と呼んだそうです

行った日は天気が良く暑いくらいだったのですが、ここは風が吹き通って涼しい場所でした。

外の板張りに腰掛けると、真正面に大きな松の木がありました。いつ頃から本丸御殿を眺めているんだろう。

(8)南廊下

北廊下と並んで長い廊下です。「幕末維新期の佐賀-輝きの時代」というタイトルで、幕末佐賀の動きに関する資料が展示されています。

 

長崎警備を担当する佐賀藩が幕府に長崎へのお台場の建設を申請した所許可が出なかったため、佐賀藩が自力でお台場を建設したそうです。おいおい江戸幕府、色んな意味で統治能力喪失してねえか?まあ財力がないので(あんたん所の負担でやってくれるんならいいよ、という意味での)黙認という形だったのかもしれませんが。

しかし幕府の許可が下りなかったからって自力でやる佐賀藩もなかなかワイルドですね。工事はかなり難航したようですが、独力で建設できる財力と技術力は凄いなあ。

(9)東廊下

ここは短い廊下です。

(10)御料理間

と言ってもここで炊事が行われていたわけではなく、家臣や藩外の人との接見や食事の場として利用されていた場所です。

廊下の奥は休憩スペースになっていて、佐賀の七賢人の説明があります

ここには「鍋島直正と幕末佐賀藩-近代を拓く」というタイトルで、直正公が実施した近代化の4つの施策(西洋医学の導入・理化学研究所の創設・日本初の鉄製大砲鋳造・蒸気船「凌風丸」の建造)と、佐賀藩が輩出した人物に関する資料の展示があります。

直正公の銅像。門外にある銅像のミニチュア版ですね

筆者の敬愛する江藤新平(号は南白)氏の書と初代司法卿の辞令が展示されていました。ちなみに、近くの佐賀県立博物館・美術館には江藤新平氏と島義勇氏の佩刀が展示されていましたので、興味のある方は行ってみてください。

ここから暫くは江藤新平氏についての筆者の思い入れを書きますので、興味ない方はスクロールして(11)鯱の門に行ってください。

 

江藤新平氏が佐賀の乱で刑殺されたのはつくづく惜しい。筆者は大久保利通氏は偉大な政治家だと思いますが、江藤新平氏を佐賀の乱で刑殺したこととその後処分(梟首された写真が売られるのを放置していました。その写真はググれば幾らでも出てきます)だけはどうにも弁護できません。前司法卿が、法律上の規定のない内乱罪で死刑を執行されたのは歴史の大いなる皮肉です。征韓論論争なんかに与しなきゃ良かったのに・・・

江藤新平氏が初代司法卿に就任した時代の司法省(現在の法務省)は、現代のような議会がなかったため司法・立法・行政の三権を全て持っていました。従って行政や国民生活の根本となる憲法(この「憲法」という言葉は江藤新平氏が作ったものです)民法・商法・刑法等を作成していた訳ですね。その中でも、行政訴訟を認めた司法省達第四十六号は設立されたばかりの「官」の横暴に歯止めを掛けるという意味で画期的な法令でした(勿論、他にも政治的な背景があったであろうことは想像が付きますし、それも否定はしません)。

このように色々な業績を遺した江藤新平氏ですが、明治7年(1874年)佐賀の乱の首謀者として島義勇氏と共の処刑されます。処刑に際しては「唯だ皇天后土の我が心を知る有るのみ」(私の志を知るのは天地だけである)と言い遺し、従容とした態度だったと伝えられています。が、この言葉の中に俗人に理解されない自分という悲痛な絶叫を聴いてしまうのは筆者だけでしょうか?

江藤新平氏と大久保利通氏の対決を、司馬遼太郎氏は著書「歳月」で日本という国のグランドデザインを描きうる構想力を持った両雄の対決として描いています。あくまで小説ですので鵜呑みにするのは危険ですが、江藤新平氏を知るきっかけとしてはいいと思いますので是非ご一読ください。

 

さて本丸御殿はここまでです。御玄関から外に出ましょう。入場時に募金されてない方は募金を忘れずに!(笑)

(11)鯱の門

さて、入る時は西側入口から入ってきましたので出る時は鯱の門を通りましょう。天保9年(1838年)当時の姿を残しています。

この門の屋根の両端に鯱があるのですが、珍しい青銅製の鯱を使っているため鯱の門と呼ばれたようです。門扉に注目してください。

佐賀の乱の際の弾痕です。生々しいですね。この2箇所だけではなく沢山あります。

城外から見た鯱の門です

城外に出ると、北側(向かって左側)に鍋島直正公の銅像があります。高さは台座を含めて8.5mです。昨年3月に建立されたものですのでまだまだ新しいですね。

元々直正公の銅像は、佐賀城の北側にある松原公園に1913年に直正公生誕100年を記念して建てられていたのですが、戦時中の金属供出で撤去されていました。それが今回、直正公生誕200年を記念して再建委員会が立ち上げられ、募金活動を経て再建されたそうです。

 

さて、佐賀城はここまでです。皆さんが行ってみたく感じていただけたら幸いです。

今、佐賀城一帯では「佐賀幕末維新博覧会」が開催されています(~来年1月14日まで)。佐賀に行くなら今ですよ!!

 

☆佐賀城(本丸歴史館)データ☆

住所:佐賀市城内2-18-1

℡:0952-41-7550

開館時間:9:30~18:00

休館日:12/29~12/31 ※臨時休館の場合あり

駐車場:あり(無料・119台)

入館料:無料(募金しましょう!!)

佐賀市城内2-18-1

 

☆佐賀城公園へのアクセス☆

バス:JR佐賀駅バスセンターから市営バス「博物館前」降りてすぐ(乗車時間5~10分)

車:九州自動車道「佐賀大和」ICから約20分

飛行機:東京(羽田空港)→九州佐賀国際空港 約1時間50分、九州佐賀国際空港→バス約20分

新幹線:新大阪→新鳥栖 約2時間50分、新鳥栖→佐賀 特急で約13分

※今佐賀では上記の通り「幕末維新博覧会」が開催されていて、JR九州が博多~佐賀の特急自由席往復券とパビリオン3館の入場券がセットになった「肥前佐賀幕末維新博覧会きっぷ」を発行しています。価格は3,060円。遠方からお越しで飛行機や新幹線でいい便がない方は、博多駅近くに宿泊して佐賀まで足を伸ばすのも手ではあります。

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